散歩-国分寺、お鷹の道、真姿の池、涌水群-武蔵国分寺


用水に沿って数分歩くと武蔵国分寺に着きます。これは1333年の消失後に江戸時代に立て直され続いている国分寺です。楼門から武蔵国分寺跡に進みます。
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国分寺市のホームページから
「奈良時代の中頃、聖武天皇は仏の力で国を安定させるために、諸国に国分寺の建立を命じました。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置されました。
武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性はつとに認められており、大正11年に国指定史跡に指定されています。」

丁度、講堂跡が発掘中のようでした。側の大木は悠久を感じさせます。蝉の声がうるさく暑さを感じます。
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金堂跡や中門跡には小さな石標が佇んでいます。
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今年、10月18日に武蔵武蔵国分寺跡資料館がオープンするのでもう一度来ることにして、現在の国分寺に戻ります。
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楼門は他から明治時代に移設したとの事です。「前沢村(現東久留米市内)の米津寺(米津出羽守田盛によって菩提寺として創建された寺)の楼門を明治28年に移築したものです」
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現在の国分寺です。
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境内へ入ると万葉植物園があります。
「武蔵国分寺は焼失しましたが、 江戸時代の社寺保護政策により徐々に復興され、享保18年(1733年)に本堂が建立されました。現在の本堂は昭和62年に改築されたものです。門前に楼門があり 、境内には薬師堂、文化財保存館、万葉植物園などがあります。」
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国分寺の境内からも行けるそうなのですが蚊が多い藪を通るとの事で一回門の外に出て薬師堂に向かいます。立派な門(仁王門)があり階段が続きます(結果外を通ったほうが門を見ることができます)。
国分寺市のホームページによれば。
「国分寺境内にあるこの門は、宝暦年間(1751年から1764年)に建てられた八脚門で、木材の一部は建武2年(1335年)新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられてい ます。
もとは萱葺の屋根でしたが、現在は瓦葺の入母屋造になっています。門の左右には、作者不明で享保3年(1718年)に作られた阿(口を開けている)吽(口を閉じている)の仁王像が安置されてい ます。」
「(薬師堂は)単層寄棟造の建物で、昔は萱葺屋根でしたが、昭和60年に銅板葺の屋根になりました。正面厨子内には 国指定重要文化財の『木造薬師如来坐像』が安置されており、10月ごろ年に一度の開帳日があります。」
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1333年の分倍河原の合戦(新田義貞と北条泰定の合戦)で国分寺が消失した跡に、新田義貞が薬師堂を寄進し、江戸時代の1756年に今の薬師堂が建てられたとの事です。
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薬師堂から八幡神社と繫がる道にお地蔵さんが3体ありました。
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八幡神社の鳥居と社殿です。
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ここで興味深かったのは、社殿に向かって右側の狛犬の前両足にびっしりと御神籤が巻いてあったことです。
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八幡神社から道を上ります。ここに新しい公園がありました。


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by AT_fushigi | 2009-09-08 18:23 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)
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