韓国出張2010年10月-見聞記-世界遺産-水原華城(II)、華城行宮


 
観光地図の「行宮」と「八達門」を順に指差し、「金浦空港行バス停留所」とホテルで書いてもらったメモを見せるとOKと言ってタクシーの運転手は車を出してくれました。

数分で「行宮」に到着。観光案内に日本統治時代に破壊されて修復中とあったのと、時間が短いので十分に見ることはできないだろうと次回に期待して中には入りませんでした。

「華城行宮」は「チャングムの誓い」のロケ地としても有名です。

===== WEB情報を収集整理 =====
行宮とは通常王が国事を司る「本宮」に対し、行幸や戦乱退避などの目的で造営された仮の宮殿の呼称。中国や日本でも使われ中国の呼称が伝わったものと考えられる。

水原華城行宮は李氏朝鮮第22代国王、正祖(TV番組「イ・サン」の主人公)の父(思悼世子)の墓である顕隆園(隆陵)の参拝行幸の為の行宮として造営された。
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水原華城は元々は水原邑の役所の移設新築の目的で1789年から建築された。ところが正祖が同年(1789年)に楊州にあったの世子の墓を水原の顕隆園に移した為新しい役所は行宮の役をも持つようになった。行宮としての増改築が行われ規模は約340間となり翌年(1790年)完成した。
更に正祖は党争を避けるために華城への遷都も考えていたため1794年から1796年に本格的な造営・増改築を行い、576間の大規模な行宮となった。しかし、華城完成後間もなく正祖が崩御、遷都は見送られた。

日本統治時代には日本軍によって破壊、荒廃してしまう。その際、病院、小学校、消防署などが建築された。

1989年華城行宮復元推進委員会が設置され、「華城建立200周年」の1996年から復元工事に着手。2002年に第一期482間が完成、翌年公開された。現在第二期工事中。
===== 整理終わり =====

「行宮」前の広場。紅門の向こうに「華城行宮」です。かすんだ背景の山が八達山、その頂上に西将台(華城将台)が見えます。黄色の旗がなびいています。
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第一期公開時はこの広場は多くの建物が建っていました。何か遺構を発掘しているようにも見えます。
2003年Google Map画像
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2010年Google Map画像
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紅門と行宮。
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門を通り振り向いたところ。確かに向こうにビルが建っていたらがっかりですね。後から知ったのですが門の中に鐘楼「與民閣」が見えます。
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入口の「新豊楼」。
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行宮案内図。
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「新豊楼」正面。中央の陰陽の印のある入口は王専用だと思います。屋根の装飾は中国の様式をまねています。屋根の四隅には仙人の後ろに神獣(脊獣)、その後ろに龍(旁吻)、大屋根の両端には正吻が配置されています。
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扁額。
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屋根装飾は中国とは異なります。先頭の仙人騎凰は鳳凰がいないし、その後ろの脊獣は偶数の4匹と中国の奇数と異なります。
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横に鮮やかな色の旗が閃いています。五行思想が反映されています。黄は中心(王)、青は東、白は西、赤は南、黒は北です。旗の頭に着いた黄色の小布、縁飾りが下部に付けられています。長安門には赤の縁飾りの黒旗がはためいていました。
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残念ですが中に入らないで、待っていたタクシーで「八達門」に向かいます。


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by AT_fushigi | 2011-09-21 22:32 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(2)
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Commented by shinn-lily at 2011-09-22 13:01
韓国を歩くと、あちらこちらで「すみません」と頭を下げたくなる気持ち、
「わたし、秀吉とは友達ではありません」と弁解も。

釜山のガイドさんが、「それが戦争というものだ、日本ばかりじゃない」と言ってくれましたっけ。
Commented by AT_fushigi at 2011-09-23 13:05
Shinn-lilyさま
コメントありがとうございました。
ガイドさんの言うように戦争の破壊はどこでもあったことです。
最近訪れたところでは清王朝におけるフランス、イギリスの破壊を目の当たりにしましたし、アユタヤではビルマ軍の破壊のすさまじさも忘れることはできません。
ところで北京の円明園では破壊の後をそのまま残すか復元するかで意見が割れていると聞いています。
復元することで逆にその破壊を露わにするという面もあると思います。「こんなに素晴らしい私たちの文化遺産を破壊してしまった」のだと。そして、民族の誇りに繋がると思います。
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