中欧家族旅行2012年08月-第十日目-チェコ・プラハ、旧市街広場、天文時計など



(このページのほとんどの情報はWikipediaのチェコ語を日本語に翻訳してまとめています。)

旧市街広場(Staroměstské náměstí)です。
10世紀ごろから20世紀初頭まで続いたプラハ旧市街のマルクト広場です。今は観光の中心となっています。東から北、西と回ります。


ティーン教会(Kostel Matky Boží před Týnem)です。11世紀頃建てられたロマネスク様式の教会から1365年にゴチック様式の現在の教会が建てられました。尖塔は80mの高さがあり、パイプオルガンで有名ですが、今回は時間の関係で行きませんでした。
チェコ語の教会名は「ティーン前の聖母教会」という意味ですがティーン(Týn)というのは商人たちの保護を目的とした濠と防壁に守られた宿や病院があった要塞だそうです。これら商人から税を取るための囲い込みに利用されたようです。見学していませんが現在ウンゲルト宮殿(palác Granovských v Ungeltu)など18の建物が残っているそうです。
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教会の写真を見ると前のカフェやレストランのある建物が邪魔ですが、実はこの建物の上階は学校です。14世紀から様々な学校としての歴史があるそうです。現在は宗教や古典音楽の専門学校として使われているとのことです。
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教会の隣の目立つ建物がキンスキー宮殿(Palác Goltz-Kinských)です。
この目立つ建物は1765年に周りの建物を繋いで建てられました。最初の持ち主はゴルツ(Count Goltz)でしたが、彼の死後1768年キンスキー(Count Frantisek Oldrich Kinsky)が購入したのでその名前を取った宮殿となっています。
19世紀末にはドイツ人の学校として使われ、カフカも1893年から1901年まで通ったそうです。また、父親がが地下階にお店を開いていたそうです。1990年に改装され国立博物館となっています。
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ヤン・フスの銅像(pomník mistra Jana Husa)です。

Wikipediaの説明を纏めると...(長いので)
ヤン・フス(Jan Hus、 1369年 - 1415年)は生れた村であるフシネツのヤン(Jan Husinecký)から自身が使っていた略語です(レオナルド・ダ・ビンチと同様で当時貧しい人は姓は無く、村の名前を冠した)。
司祭になろうとプラハに出、カレル大学で学士、修士を取ります。後に宗教改革に多大な影響を与ることになるイングランドのジョン・ウィクリフの影響を受けます。ジョン・ウィクリフ(John Wycliffe、1320年頃 - 1384年)はラテン語の聖書が当たり前の時代にボヘミア出身のアン王妃がチェコ語の聖書を所有しているのをみて聖書を英語にしその解釈を広めます。ボヘミア王ヴァーツラフ4世の妹であるアン王妃の嫁ぎ先という関係からこのウィクリフの思想がボヘミアにも伝わり広まっていた頃でした。
ヴァーツラフ4世は政治改革を行いますがローマ教皇と対立し、大司教と(ウィクリフ論文議論を禁じた)大学に圧力を掛けます。このため、中欧唯一の大学として滞在していた多くの外国人が大学から去り、フスが学長となります。
1411年に十字軍の遠征費用調達のため免罪符が売買されますがフスはこれに反対し「教皇ではなくイエス・キリストこそが至上の審判である」という主張の改革論を書きました。フスは大学を追放されます。民衆はフスを指示し、宮廷はフス等を保護したたため教皇派とフス派の対立は大きくなります。この背景には増え続けるドイツ移民とチェコ人との対立があり、フスの動きは民族意識の高まりを促したのでした。
神聖ローマ皇帝ジギスムントは当時の教会大分裂を正常化するために、1414年11月1日にコンスタンツ公会議を召集します。ボヘミア王の弟でもある皇帝はボヘミアが異端となっている状況を解消する目的でフスを招待します。この時皇帝はフスの身の安全を保証する「安全通行証」を発行します。
コンスタンツ到着ひと月後彼を擁護していた一人の教皇が廃位となり、フスは投獄されます。皇帝は激怒しますが教皇のごり押しに負けてしまいます(威信のない皇帝でした)。
1415年7月6日に判決が下されフスは火あぶりの処刑されてしまいます。
フスは処刑される直前に、もし異端であることを認めれば命は助けるという要請を拒否し、彼の最期の言葉は「真実は勝つ (Veritas vincit)」だったとチェコ人の間に伝わりました。チェコ語で「Pravda vítězí」というこの言葉はチェコの民族意識を代表する言葉として今でも使われているそうです。プラハ城の大統領府の旗にも書かれています。
ウィクリフやフスらの聖書主義が先駆となり100年後に宗教改革が起こります。
この後、1419年から1439年のフス戦争が起こります。これは後ほど。
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さて、ブロンズの像ですがフス火刑500年の1915年に除幕されました。
議会でフス派を罵倒したことが切っ掛けでチェコ人の民族意識に火が付き、民族の英雄「ヤン・フス」建立に至りました。この背景にはドイツ資本による豊富な石炭を利用した産業革命でボヘミアがヨーロッパ有数の工業地帯になっていたこと、1914年オーストリア大公フランツ・フェルディナント夫妻がサラエヴォで暗殺され第一次世界大戦が勃発しオーストリア・ハンガリー帝国の支配力が弱またことがあります。
その後1918年フス像前で「チェコスロバキア自由社会主義共和国独立宣言」が行われ、1948年にキンスキー宮殿からフス像を見下ろす形で、社会主義共和国建設を宣言します。1989年ビロード革命の際も、ここに人々が終結しました。

チェコを語る時は海外の侵略・支配とそれに対抗する民族意識を考えなければならないと思います。それをプラハの町に、旧市街広場に、ヤン・フス像に読み取ることが大事だと思います。

さて、このヤン・フス像中央に大きなヤン・フスの立像があり迫力があります。
像の側には国家の再誕生を象徴する若い母親が配されています。
花崗岩の台座には文字が彫られています。"Milujte se, pravdy každému přejte"、"Živ buď, národe posvěcený v Bohu, neumírej"、"Věřím, že po přejití bouří hněvu vláda věcí Tvých k Tobě se zase navrátí, ó lide český"、"Kdož jsú boží bojovníci a zákona jeho"というフスの言葉が刻まれているそうです。
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フス像の西方向に目立つ教会があります。聖ミクラーシュ教会(kostel sv. Mikuláše)です。プラハにある同名の3つの教会の一つです。マラー・ストラナの教会は朝訪れたのでした。
ベネディクト修道院のロマネスク様式の教会が大火の被害を受け1735年バロック様式に建替えられます。今はフス派教会(československá husitská)となっています。
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聖ミクラーシュ教会から屋台を冷やかしながら旧市庁舎に向かいます。
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旧市庁舎の前に石畳に白い石で十字架が27個、1621の文字や大きな十字架が描かれています。
これは、白山の戦い(Bitva na Bílé hoře)で処刑された27人の追悼のために設けられました。この場所に生首が並べられたとのことです。
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Wikipediaから...
白山の戦い(1620年11月8日)はプラハ近郊の白山(Bílá hora)においてカトリックのハプスブルク軍勢力とボヘミアのプロテスタント貴族との戦闘だが傭兵を擁したハプスブルク軍が半日でプロテスタント軍を蹴散らした事件です。プロテスタント軍を指揮した貴族・騎士・市民など47人が裁判裁判にかけられ27人が旧市街広場で処刑されました。そのうちの12人の生首がカレル橋の塔に晒されたことは橋で既に述べました。これを切っ掛けにヨーロッパでカトリックとプロテスタントの戦闘が続発し30年戦争と呼ばれる宗教戦争が起こったのでした。(下図版の右に首が置かれ、囲んで見ている群衆がいます。現在はその場所に十字架の石が敷かれています。)
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でも、多くの人が気付かず平気で踏んで通っていました。
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旧市街広場のハイライト、旧市庁舎(Staroměstská radnice)です。
旧市庁舎はカレル4世時代、1338年に建設され、以後増改築を経ながら1945年にプラハ蜂起の際の砲撃で破壊されるまで市庁舎として使われました。
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この尖塔は登ることが出来ます(100コルナ)。私達は登りませんでした。
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プラハのオルロイ(Pražský orloj)と呼ばれている時計です。時計は3つの部分からなっています。中央に天文時計、上部にキリストの使徒が動く人形仕掛け、下部に浮き彫りの暦版からなります。
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天文時計は1410年にカダンのミクラシュ (Mikuláš of Kadaň) とプラハ・カレル大学の数学・天文学教授であったヤン・シンデル(Jan Šindel)によって制作されました。当時各地でこのような時計が製作されたようです。1470年に装飾を含め天文時計は完成し、1490年ごろ暦版が取りつけられました。その後も時計が止まる度に修理がおこなわれ、17世紀には両側の動く彫像、19世紀終わりには使徒の仕掛け人形が取りつけられたとのことです。1945年5月のプラハ蜂起の時砲撃で大きな被害を受けますがその後3年かけて修復されました。
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天文時計の円盤は昼間の空色、暁と夕暮れの橙色、夜の黒色で色分けされていて針に取りつけられた太陽がその上を動きます。。昼間は太陽の位置の季節変動を補正するための線が引かれています。針は太陽の動きを示す黄金の手の付いた24時間の針と月の動きを示す針があります。それぞれの針にある太陽と月は季節によって動きます。内側の円盤は太陽と12宮星座との関係を示します。円盤の中の外側のローマ数字が24時を季節で動く外の環の数字は日出日の入を基にした古代チェコの時間を表します。天道説を基にした太陽と月と十二宮の複雑な動きを時計で表しています。
時計の横上側に配置された4つの彫像は時間になると動き出します。4つの彫像は左が虚栄心と守銭奴、右に死神と悪徳の歓喜です。
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暦版は季節ごとの農作業を示す絵が描かれています。円盤の外には休日や聖人の名前を365日分記述してあります。彫像は左が哲学者と大天使ミカエル、右が天文学者と書記(歴史)だそうです。
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7時になりました(午前9時から午後11時まで人形仕掛けが動作します)。
死神(骸骨)が動いてその上の2つの窓が開きます。
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次々と12使徒が現れて消えていきます。
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最後に金色の鶏が叫んで終わります。その間2-3分です。
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もちろん、天文時計には夏時間はありません。天文時計が6時を指し、塔の時計が7時を指しているのは夏時間だからです。

天文時計の奥に目立つ建物があります。一分の家(Dům U Minuty)です。一分とは刻み煙草のことらしいです。で「刻み煙草の家」。
黒い壁に17世紀初頭に描かれたギリシャ神話や聖書をモチーフにした白く浮き彫りになった装飾が目に着きます。また、フランツ・カフカが1889 - 1896年に住んでいました。
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記事を書くためにいろいろ調べていて面白い記事を見つけました。昔、広場に聖母マリアの石柱が立っていたと言うことです。それは1648年スエーデンの攻撃から市を守った記念に1950年に建てられました。しかし、オーストリア帝国のチェコ民族支配の象徴と考える人々によって1918年11月8日に破壊されてしまいました。丁度帝国の衰弱に合わせてヤン・フスの像が1915年に建てられたことと対照的です。
ビロード革命後、1990年に「再建する会」が結成され、1995年にはマリア像は完成しています。しかし、再建の可否で市が2分され未だに再建されていません。
今は石柱のあった場所と緯度に沿ったマークが残されています。この緯度マークは要はマリア石柱から真北に向かって引かれ、石柱の影がこの地点の南中時つまり12時にそこを通る日時計になっていました。
興味ある方は[http://www.marianskysloup.cz/]まで。ただし、チェコ語です。翻訳で読みましたが...翻訳機が良くないみたいで、理解不能なところが多かったです。また、最近は余りUPDATEされていないようです。
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[2012.08.18]

次へ(第十日目-チェコ・プラハ、夕暮れのカレル橋)    [目次]

 
by AT_fushigi | 2013-08-23 08:55 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)
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