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家族旅行2013年08月-北米-グランドサークルー第一日目-ラスベガスぷらっと街歩き



荷物を置いて外に出ます。

ベッラジオの1Fのカジノを見物して噴水の時間を待ちます。
長女が「ホテルに帰ってきたら100ドルで勝負しよう」と言ったのですが...

ベラッジオの道路を隔てた反対側はバリーとパリ(Ballys Paris)ホテルです
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噴水です。正面からでも良いのですが子供がパリスのエッフェル塔と噴水が写るところが良いと言うので北の端に。結構同じ考えの人がいてカメラ愛好家で混んでいました。
音楽と共に噴水のでショーが始まりました。
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そして、エッフェル塔と噴水。噴水は前後の2重になっていますが私のカメラでは前の低い噴水までしか写りません。
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プラプラと人の流れに乗って北方向に歩きます。

フラミンゴホテルはこのトレードマーク電飾。
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シーザーホテルは以前泊った時より大きくなっているように思いました。15年以上前ですので。
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ヴェネチアンとパラッツォ(Venetian & Palazzo)ホテル。
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ヴェネチアンホテル内のヴェネチアの町を模したショッピング街へ。
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運河がありゴンドラも楽しめます。
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今日の夕食は運河沿いを歩いていて見つけたイタリアンZeffirinoにしました。
1Fはバーで入ると2Fに案内されました。
イタリア人家族が経営していると言うだけあって雰囲気はイタリアです。スタッフもイタリア人が多いようです。
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少し高めのお値段ですがPre-fixが$50でリーゾナブルと判断してこれを取りました。
ワインはリーゾナブルな価格のヴェネトの赤ワインにしました。
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前菜はカラマリ、カルパッチョ等をシェアしました。
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パスタは仔牛、チーズや果物のラビオリ、ジェノペーゼソースです。
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メインはSea Bassとステーキを半々とってシェアしました。
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コーヒを飲んで店を後にしました。味は普通でした。普通というのは褒め言葉です。


ミラージュホテルでの火山の噴火の今日の最後のショーをみたところで既に12PMになっていました。
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家族も長旅で疲れていたのでカジノに寄らずにGO TO BEDです。


[2013.08.09]

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by AT_fushigi | 2013-08-30 10:03 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)

家族旅行2013年08月-北米-グランドサークルー第一日目-ラスベガスへ



家族がボーイング787のANAで成田からSan Jose空港に着いて、アパートで旅行の準備をして出かけるところからこの旅行記は始まります。お土産や旅行に不要の服などを置いて、タクシーでSan Jose空港に向かいます。

まだ1回しか利用していませんが、好きになったのでSouthwestのフライトでラスベガスに飛びます。ラスベガスまでは車で行っても520マイル7-8時間の行程です。しかし、時間に余裕のない盆休み旅行なので飛行機にしました。

San Jose空港のSouthwestの為にあるような新ターミナルです。
カウンターでチェックインも可能ですが、Southwestは座席指定が無くチェックインの早い者順で搭乗・着席するので基本的にWEBチェックインしておきます。12ドル出せばA、普通はB,Cにチェックイン順に番号が付いていきます。チェックインは出発の24時間前から可能です。
ここでは荷物をチェックインします。私はアパートにプリンターを持っていないので、ここで搭乗券をプリントアウトしてもらいます。大抵の人は搭乗券をプリントアウトしたりスマートフォンで受け取ったりして直接ゲートに向かいます。このため、カウンターは静かです。
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カウンターの側のエスカレータを上るとセキュリティがあります。ここでもAの人は優先されます。
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エスカレータを上ったところに飛行機のオブジェがあります。
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セキュリティを出たところ。
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レストランやカフェがある出発階のデザインはウェーヴです。
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飛行機はゲートにいました。写真を撮ろうとしたら鳥が飛んできました。どこから迷い込んだのでしょう。
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しかも、しばらくしてもう一羽。ツガイでしょうか。
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出発30分前に子供やハンディーキャップのある人が優先され搭乗します。

そしてA1-?(最大60だけど何人12ドル払ったのか...)が呼ばれ番号順に搭乗。次に一般客B1-15、B16-30、B31-45、B46-60、そしてCという感じで搭乗。私達はB42からでした。それでも後ろから3列目で並んで座れました。

1時間半のフライトです。飲み物とスナックが出ました。アルコールは有料なのでジンジャエールで我慢です。
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無事着陸。ゲートからずっとスロットマシンが置いてあります。
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Bagage Claimにいく途中にはシルク・ド・ソレイユやBlu man showの広告がLas Vegasを感じさせます。
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レンタカーは別のビルのレンタカーセンターに各社まとまってあるのでシャトルバスを利用します。
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レンタカーセンターです。
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HERTZを予約してあっりました。
出張でよく利用するので#1Club Goldメンバーになっています。このためカウンターに行くことなく表示の駐車位置の車に直接向かいます。
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ここで一悶着。町の少ない砂漠の様な地帯を行くので衛星ラジオをオプションに付けておいたのですが、割り当てられた車に付いてなかったのです。
オフィスに行ってクレームで2台目を貰いました。最初衛星ラジオってなんだっけというので、彼女の後ろの壁にあった衛星ラジオをプロモーションする大きな幕を指さして不機嫌な顔をしておきました。
しかし、屋根のない所へ行って確認するも受信できませんでした。3台目でやっと衛星ラジオがついた車が貰えました。
ここはアメリカらしく済みませんとは言うもののこれは私達の責任ではありません(準備係りの責任)という態度なので日本のサービス精神を知っている私達は怒り心頭です。が、やってもらえなければ困るので大目に見ました。でも、2時間を返してほしい。
ところで借りた車は衛星ラジオ付きで週285ドルという格安の車(大型のアメ車、シボレー)でした。

空港からラスベガスの中心ストリップまで10分ちょっと。今日のホテルは噴水で有名なあのBellagioです。まずはFreeの駐車場に入りウロウロ。運良く停めることが出来ました。

このホテルに限らずラスベガスは部屋が広く2クイーンベッドを選べば家族で泊れます。安いホテルの2部屋より広い1部屋です。
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さすがにBooking.comからのスペシャル料金なので噴水側の部屋は駄目と言われました。部屋からラスベガスの街の広がりが見えます。三日月が山の向こうに上っていました。
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[2013.08.09]

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by AT_fushigi | 2013-08-29 19:52 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)

家族旅行2013年08月-北米-グランドサークル



夏休みは家族でグランドサークルを回ってきました。

地球の雄大な歴史を垣間見る旅でもありました。川が台地を削った荒々しいい風景を上から見学したグランドキャニオン、蛇行する川が柱上の景観を作っていくのがよく分かるホースシューベント、その削られて残った柱や台地を下から見学したセドナ、更に削られ芸術的な風景となったモニュメントヴァレー、削られ平らになった大地に鉄砲水で削られた次世代の若い渓谷の種の細い洞穴で形成されたアンテロープ渓谷、川では無く水と温度差で大地が風化していく様を見せたブライス渓谷。また、セドナからモニュメントヴァレーの移動中に見た柱が崩れて平らになっていく様子など、様々な大地の変化の様相を見ることが出来たのは大きな収穫でした。

昼間は移動、夕日を見て宿泊、朝日を見て見学後移動の繰り返しで5泊6日の旅行でした。
実はGrand Canyonで夕日で大失敗して勉強となりました。

ちなみに家族は第一日目に到着し乗り換えてラスベガスに。第七日は買物三昧、第八日目に日本帰国でした。

  第一日目:San Jose(SJC) --(Sw461)--> ラスベガス泊
  第二日目:フーバーダム、ルート66、夕日後グランドキャニオン泊
  第三日目:日出後グランドキャニオン、デザートヴィユー、夕日後セドナ泊
  第四日目:日出後セドナ、夕日後モニュメントヴァレー泊
  第五日目:日出、アントロープキャニオン、ホースシューベント、ブライスキャニオン泊
  第六日目:日出後ブライスキャニオン、ラスベガス --(Sw4145)--> San Jose

家族旅行2013年08月-北米-グランドサークル-準備

第一日目-ラスベガスへ
第一日目-ラスベガスぷらっと街歩き
第二日目-フーバーダム
第二日目-ルート66の町、セリグマンとウィリアムズ
第二日目-グランドキャニオン・サウスリムとEl Tovarホテル
第三日目-グランドキャニオン・日の出と駅
第三日目-グランドキャニオン・サウスリムの雄大な眺望
第三日目-グランドキャニオン・Yavapai Cafeでランチ
第三日目-グランドキャニオン・マーサポイントとGrandView
第三日目-グランドキャニオン・デザートビュー
第三日目-セドナへ
第三日目-セドナ・エアポートメサで夕日
第四日目-セドナ・部屋のテラスから朝日
第四日目-セドナ・カテドラルロック
第四日目-セドナ・エアポートメサ再訪
第四日目-セドナ・オーククリークヴィスタ
第四日目-モニュメントバレーへ(気になることも)
第四日目-モニュメントバレー・夕日ツアー(I)
第四日目-モニュメントバレー・夕日ツアー(II)
第四日目-モニュメントバレー・Navajoの夕食
第五日目-モニュメントバレー・感動の日の出
第五日目-アンテロープ・キャニオン(I)
第五日目-アンテロープ・キャニオン(II)
第五日目-ホースシューベント
第五日目-レッドキャニオン経由ブライスキャニオン
第六日目-ブライスキャニオン・日の出
第六日目-ブライスキャニオン・番外編・ナンバープレート
第六日目-ブライスキャニオン・ポイント巡り
第六日目-旅の終り

番外-グランドキャニオン・ウラン採掘

地図はクリックで拡大可能です。

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[2012.08.09-14]

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by AT_fushigi | 2013-08-29 17:02 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)

日々徒然-歳時記-Googleの遊び心_130829_My_Birthday



今日は8月29日。なんの日でしょうか。

Google検索してみました?

でも、日本からの検索では特別なDoodleはありません。

ふふふ、私の誕生日です。

Doodleはケーキ。
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で、Doodleをクリックすると...
Google+(g+)の投稿ページに飛びます。


[2013.08.29]

Googleの遊び心[一覧] 
by AT_fushigi | 2013-08-29 04:18 | 日々徒然 | Trackback | Comments(2)

日々徒然-歳時記-Googleの遊び心_130828_I_HAVE A DREAM_50周年



今日は8月28日。なんの日でしょうか。

Google検索してみました?

でも、日本からの検索では特別なDoodleはありません。GoogleのDoodleは国ごとに設定されています。

米国では今日は有名なキング牧師の「I Have a Dream」の演説が行われた記念日です。

Doodleは
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クリックするとYouTubeの演説が出てきます。17分のビデオです。


有名な「I have a Dream」は17分の最後の5分で出てきます。そこだけを取りだしたのが以下。


cnnの記事ではカラーの写真を見ることが出来ます。

この演説は1999年に行われた過去の演説のランキング付けで#1になったそうです。
#2はJFケネディーの「 Ask not what your country can do for You,. Ask what you can do for your country」です。そう、オバマの「Yes, we can」につながる演説です。

米国は演説の力が大きいと思います。

今日オバマが50周年を記念して演説を行うはずです。


[2013.08.28]

Googleの遊び心[一覧] 
by AT_fushigi | 2013-08-29 04:06 | 日々徒然 | Trackback | Comments(0)

中欧家族旅行2012年08月-第十一日目-帰国



ホテルの朝食です。
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ホテルから空港まではブルタバ川に平行に南下し、ストラホフトンネルを抜けて高速に乗り空港に至ります。

空港は首都の国際空港ですが規模が小さいです。レンタカー会社の入っているパーっキングビルから空港ビルまで鞄を引いて歩きます。
まず、シェンゲン協定外の国の航空機が発着するターミナル1です。要は入出国審査があると言うことです。
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ドイツ・フランクフルトに飛ぶのでシャンゲン協定国への航空機の発着するターミナル2までゴロゴロ鞄を引いて行きます。
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ターミナル2はパイプのオブジェが天井にありました。
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LHのカウンター。思ったより小さかったです。
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実はターミナル1と2はつながっていました。ゲートA とBがターミナル1、CとDがターミナル2です。
D2付近のLHのラウンジに向かいます。
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Crystal Loungeだそうです。
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Sky Teamのラウンジでもあるようです。
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フードコーナー。Illyのコーヒーがありました。
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ランチ前の時間ですが、コーヒーとオレンジジュース、白ワインを頂きました。
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ラウンジを出てエスカレータで降りると面白い表示が。要はCゲート以外は後ろ方向に行けと言っているのですが戻れのぐるり記号が...
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バスで飛行機まで移動するので1Fのターミナルに降ります。

この写真の左にちょっと見えているのがボヘミアグラスのお店でした。降りてからふと思いついてこのお店に戻りました。「EGERMANN」(http://www.egermann.cz)という老舗でした。
ここで、長い付き合いの米国人営業と同僚の日本人の結婚祝いにワイングラスを買ったのです。ピンクのバラの可愛いグラスです。時間が無かったので買った時の写真はありません。私が気に入ったものを買いました。
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航空会社はAir Dolomiti。ミュンヘンからミラノに行く時に利用するLHのRegionalです。
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後ろに階段のあるドアがあり下に開きます。
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前のドアは上に開いています。パイロットなどの出入でしょうか。
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ビジネス席はプロペラの前です。プロペラ機は騒さいのですが音が大分違います。
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機内食です。ビジネスなのでワインを選べます。白ワインにしました。
パスタもまあまあでした。
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到着後に見たら前のチェックインラゲージは前のドアの中に納められていたようです。
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フランクフルトでは上下の階でシェンゲン協定国かそうでない国とのフライトかが分かれます。2Fに着いて3Fの出国手続きを経て出発階に入ります。
いつものラウンジ。
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夕方なのですが機内食に期待してビールとおつまみに留めておきます。
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搭乗です。飛行機は巨艦A380。

ウェルカムドリンク、シャンペンを頂きます。
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ビジネス機内食です。LHはDinnerは洋食と決めています。
スモークサーモン。一切れ頂いた後です。
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クリーミー仔牛細切れ肉とパスタです。
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他の洋食です。
野菜サラダ。
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スズキのポワレとヘーゼルナッツアマランサス。
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チーズとフルーツ、ポルトワインです。
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着陸前の朝食は和食にしました。
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無事成田に着いて長かった様で短かった夏休みの家族旅行が終わりました。

今回の中欧家族旅行も急ぎ足で沢山の物を見た旅行でしたが、まだまだ見たい所を多く残したと思います。歴史の長い所は興味が尽きません。是非もう一度訪れたいと思いました。


[2012.08.19-20]

完    [目次]

 
by AT_fushigi | 2013-08-27 14:39 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)

中欧家族旅行2012年08月-第十日目-チェコ・プラハ、夕暮れのカレル橋



旧市街広場からちょっと路地を歩いてカレル橋に向かいます。

プラハでは狭かったり曲がったりしている路地が残っており時間があれば散策したかったところです。実はヴァーツラフ広場や旧市街に行く時つい路地に入って地図を見ても現在地が分からなくなったりしました。これも旅の楽しみですが、余り挑戦しませんでした。一人だったら、気候が暑く無かったらGoogle map無しで巡ってみたいと思います。

カレル橋への路地も楽しめます。
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黄金井戸の家(Dům U Zlaté studny)です。井戸に黄金が隠されている、黄金が掘り出されたというような伝説があるのでこの名前が付きました。
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目立つ蛇の紋章の様な装飾がある赤い建物、黄金蛇の家(Dům U Zlatého hada)です。1714年プラハで最初にオープンしたカフェだとのことです。
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橋からの通りに16世紀末に建てられたSan Salvador Posterior churchが飛び出しています。ここはクレメンティウム Klementinumという建物群の一角です。クレメンティウムは1556年イエズス会の寮から始まり教育、図書館、天文・気象などの学問を行う建物が次々作られ18世紀にはカレル大学に併合されました。
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ちょっと外れますが街で見かけたポストです。ヨーロッパでよく見かける黄色では無く橙色でした。
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閑話休題。

カレル橋に着くころには夕暮れが始まっていました。夕日も美しいカレル橋です。
旧市街側の橋塔です。
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ザビエル像も黒い影となっています。
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川では船上で結婚式のパーティのようです。先ほどユダヤ人地区で見かけたカップルかもしれません。
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今回行かなかったスメタナ博物館です。
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橋の上では橋上演奏会の準備です。夕暮れはクラッシックが似合います。
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夕焼けをバックにしたネポムツキー像です。
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像の側にあるご利益があると言われるネポムツキーのレリーフは撫でられ黄金色に光っています。周りは様々な色の錠で囲まれています。
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お城とマラーストラナ橋塔です。
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橋塔をくぐると夕暮れのマラーストラナです。既にビールを求めて人々が散歩しています。
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私達は目を付けていた小さなスーパーでハム・チーズやデリカ、もちろんビールを買い込んでホテルで最後の夕食にしました。
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プラハ最後の夜は家族の団欒で暮れました。

本日の行程です(クリックで拡大可能)
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[2012.08.18]

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by AT_fushigi | 2013-08-27 07:49 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)

中欧家族旅行2012年08月-第十日目-チェコ・プラハ、旧市街広場、天文時計など



(このページのほとんどの情報はWikipediaのチェコ語を日本語に翻訳してまとめています。)

旧市街広場(Staroměstské náměstí)です。
10世紀ごろから20世紀初頭まで続いたプラハ旧市街のマルクト広場です。今は観光の中心となっています。東から北、西と回ります。


ティーン教会(Kostel Matky Boží před Týnem)です。11世紀頃建てられたロマネスク様式の教会から1365年にゴチック様式の現在の教会が建てられました。尖塔は80mの高さがあり、パイプオルガンで有名ですが、今回は時間の関係で行きませんでした。
チェコ語の教会名は「ティーン前の聖母教会」という意味ですがティーン(Týn)というのは商人たちの保護を目的とした濠と防壁に守られた宿や病院があった要塞だそうです。これら商人から税を取るための囲い込みに利用されたようです。見学していませんが現在ウンゲルト宮殿(palác Granovských v Ungeltu)など18の建物が残っているそうです。
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教会の写真を見ると前のカフェやレストランのある建物が邪魔ですが、実はこの建物の上階は学校です。14世紀から様々な学校としての歴史があるそうです。現在は宗教や古典音楽の専門学校として使われているとのことです。
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教会の隣の目立つ建物がキンスキー宮殿(Palác Goltz-Kinských)です。
この目立つ建物は1765年に周りの建物を繋いで建てられました。最初の持ち主はゴルツ(Count Goltz)でしたが、彼の死後1768年キンスキー(Count Frantisek Oldrich Kinsky)が購入したのでその名前を取った宮殿となっています。
19世紀末にはドイツ人の学校として使われ、カフカも1893年から1901年まで通ったそうです。また、父親がが地下階にお店を開いていたそうです。1990年に改装され国立博物館となっています。
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ヤン・フスの銅像(pomník mistra Jana Husa)です。

Wikipediaの説明を纏めると...(長いので)
ヤン・フス(Jan Hus、 1369年 - 1415年)は生れた村であるフシネツのヤン(Jan Husinecký)から自身が使っていた略語です(レオナルド・ダ・ビンチと同様で当時貧しい人は姓は無く、村の名前を冠した)。
司祭になろうとプラハに出、カレル大学で学士、修士を取ります。後に宗教改革に多大な影響を与ることになるイングランドのジョン・ウィクリフの影響を受けます。ジョン・ウィクリフ(John Wycliffe、1320年頃 - 1384年)はラテン語の聖書が当たり前の時代にボヘミア出身のアン王妃がチェコ語の聖書を所有しているのをみて聖書を英語にしその解釈を広めます。ボヘミア王ヴァーツラフ4世の妹であるアン王妃の嫁ぎ先という関係からこのウィクリフの思想がボヘミアにも伝わり広まっていた頃でした。
ヴァーツラフ4世は政治改革を行いますがローマ教皇と対立し、大司教と(ウィクリフ論文議論を禁じた)大学に圧力を掛けます。このため、中欧唯一の大学として滞在していた多くの外国人が大学から去り、フスが学長となります。
1411年に十字軍の遠征費用調達のため免罪符が売買されますがフスはこれに反対し「教皇ではなくイエス・キリストこそが至上の審判である」という主張の改革論を書きました。フスは大学を追放されます。民衆はフスを指示し、宮廷はフス等を保護したたため教皇派とフス派の対立は大きくなります。この背景には増え続けるドイツ移民とチェコ人との対立があり、フスの動きは民族意識の高まりを促したのでした。
神聖ローマ皇帝ジギスムントは当時の教会大分裂を正常化するために、1414年11月1日にコンスタンツ公会議を召集します。ボヘミア王の弟でもある皇帝はボヘミアが異端となっている状況を解消する目的でフスを招待します。この時皇帝はフスの身の安全を保証する「安全通行証」を発行します。
コンスタンツ到着ひと月後彼を擁護していた一人の教皇が廃位となり、フスは投獄されます。皇帝は激怒しますが教皇のごり押しに負けてしまいます(威信のない皇帝でした)。
1415年7月6日に判決が下されフスは火あぶりの処刑されてしまいます。
フスは処刑される直前に、もし異端であることを認めれば命は助けるという要請を拒否し、彼の最期の言葉は「真実は勝つ (Veritas vincit)」だったとチェコ人の間に伝わりました。チェコ語で「Pravda vítězí」というこの言葉はチェコの民族意識を代表する言葉として今でも使われているそうです。プラハ城の大統領府の旗にも書かれています。
ウィクリフやフスらの聖書主義が先駆となり100年後に宗教改革が起こります。
この後、1419年から1439年のフス戦争が起こります。これは後ほど。
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さて、ブロンズの像ですがフス火刑500年の1915年に除幕されました。
議会でフス派を罵倒したことが切っ掛けでチェコ人の民族意識に火が付き、民族の英雄「ヤン・フス」建立に至りました。この背景にはドイツ資本による豊富な石炭を利用した産業革命でボヘミアがヨーロッパ有数の工業地帯になっていたこと、1914年オーストリア大公フランツ・フェルディナント夫妻がサラエヴォで暗殺され第一次世界大戦が勃発しオーストリア・ハンガリー帝国の支配力が弱またことがあります。
その後1918年フス像前で「チェコスロバキア自由社会主義共和国独立宣言」が行われ、1948年にキンスキー宮殿からフス像を見下ろす形で、社会主義共和国建設を宣言します。1989年ビロード革命の際も、ここに人々が終結しました。

チェコを語る時は海外の侵略・支配とそれに対抗する民族意識を考えなければならないと思います。それをプラハの町に、旧市街広場に、ヤン・フス像に読み取ることが大事だと思います。

さて、このヤン・フス像中央に大きなヤン・フスの立像があり迫力があります。
像の側には国家の再誕生を象徴する若い母親が配されています。
花崗岩の台座には文字が彫られています。"Milujte se, pravdy každému přejte"、"Živ buď, národe posvěcený v Bohu, neumírej"、"Věřím, že po přejití bouří hněvu vláda věcí Tvých k Tobě se zase navrátí, ó lide český"、"Kdož jsú boží bojovníci a zákona jeho"というフスの言葉が刻まれているそうです。
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フス像の西方向に目立つ教会があります。聖ミクラーシュ教会(kostel sv. Mikuláše)です。プラハにある同名の3つの教会の一つです。マラー・ストラナの教会は朝訪れたのでした。
ベネディクト修道院のロマネスク様式の教会が大火の被害を受け1735年バロック様式に建替えられます。今はフス派教会(československá husitská)となっています。
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聖ミクラーシュ教会から屋台を冷やかしながら旧市庁舎に向かいます。
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旧市庁舎の前に石畳に白い石で十字架が27個、1621の文字や大きな十字架が描かれています。
これは、白山の戦い(Bitva na Bílé hoře)で処刑された27人の追悼のために設けられました。この場所に生首が並べられたとのことです。
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Wikipediaから...
白山の戦い(1620年11月8日)はプラハ近郊の白山(Bílá hora)においてカトリックのハプスブルク軍勢力とボヘミアのプロテスタント貴族との戦闘だが傭兵を擁したハプスブルク軍が半日でプロテスタント軍を蹴散らした事件です。プロテスタント軍を指揮した貴族・騎士・市民など47人が裁判裁判にかけられ27人が旧市街広場で処刑されました。そのうちの12人の生首がカレル橋の塔に晒されたことは橋で既に述べました。これを切っ掛けにヨーロッパでカトリックとプロテスタントの戦闘が続発し30年戦争と呼ばれる宗教戦争が起こったのでした。(下図版の右に首が置かれ、囲んで見ている群衆がいます。現在はその場所に十字架の石が敷かれています。)
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でも、多くの人が気付かず平気で踏んで通っていました。
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旧市街広場のハイライト、旧市庁舎(Staroměstská radnice)です。
旧市庁舎はカレル4世時代、1338年に建設され、以後増改築を経ながら1945年にプラハ蜂起の際の砲撃で破壊されるまで市庁舎として使われました。
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この尖塔は登ることが出来ます(100コルナ)。私達は登りませんでした。
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プラハのオルロイ(Pražský orloj)と呼ばれている時計です。時計は3つの部分からなっています。中央に天文時計、上部にキリストの使徒が動く人形仕掛け、下部に浮き彫りの暦版からなります。
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天文時計は1410年にカダンのミクラシュ (Mikuláš of Kadaň) とプラハ・カレル大学の数学・天文学教授であったヤン・シンデル(Jan Šindel)によって制作されました。当時各地でこのような時計が製作されたようです。1470年に装飾を含め天文時計は完成し、1490年ごろ暦版が取りつけられました。その後も時計が止まる度に修理がおこなわれ、17世紀には両側の動く彫像、19世紀終わりには使徒の仕掛け人形が取りつけられたとのことです。1945年5月のプラハ蜂起の時砲撃で大きな被害を受けますがその後3年かけて修復されました。
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天文時計の円盤は昼間の空色、暁と夕暮れの橙色、夜の黒色で色分けされていて針に取りつけられた太陽がその上を動きます。。昼間は太陽の位置の季節変動を補正するための線が引かれています。針は太陽の動きを示す黄金の手の付いた24時間の針と月の動きを示す針があります。それぞれの針にある太陽と月は季節によって動きます。内側の円盤は太陽と12宮星座との関係を示します。円盤の中の外側のローマ数字が24時を季節で動く外の環の数字は日出日の入を基にした古代チェコの時間を表します。天道説を基にした太陽と月と十二宮の複雑な動きを時計で表しています。
時計の横上側に配置された4つの彫像は時間になると動き出します。4つの彫像は左が虚栄心と守銭奴、右に死神と悪徳の歓喜です。
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暦版は季節ごとの農作業を示す絵が描かれています。円盤の外には休日や聖人の名前を365日分記述してあります。彫像は左が哲学者と大天使ミカエル、右が天文学者と書記(歴史)だそうです。
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7時になりました(午前9時から午後11時まで人形仕掛けが動作します)。
死神(骸骨)が動いてその上の2つの窓が開きます。
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次々と12使徒が現れて消えていきます。
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最後に金色の鶏が叫んで終わります。その間2-3分です。
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もちろん、天文時計には夏時間はありません。天文時計が6時を指し、塔の時計が7時を指しているのは夏時間だからです。

天文時計の奥に目立つ建物があります。一分の家(Dům U Minuty)です。一分とは刻み煙草のことらしいです。で「刻み煙草の家」。
黒い壁に17世紀初頭に描かれたギリシャ神話や聖書をモチーフにした白く浮き彫りになった装飾が目に着きます。また、フランツ・カフカが1889 - 1896年に住んでいました。
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記事を書くためにいろいろ調べていて面白い記事を見つけました。昔、広場に聖母マリアの石柱が立っていたと言うことです。それは1648年スエーデンの攻撃から市を守った記念に1950年に建てられました。しかし、オーストリア帝国のチェコ民族支配の象徴と考える人々によって1918年11月8日に破壊されてしまいました。丁度帝国の衰弱に合わせてヤン・フスの像が1915年に建てられたことと対照的です。
ビロード革命後、1990年に「再建する会」が結成され、1995年にはマリア像は完成しています。しかし、再建の可否で市が2分され未だに再建されていません。
今は石柱のあった場所と緯度に沿ったマークが残されています。この緯度マークは要はマリア石柱から真北に向かって引かれ、石柱の影がこの地点の南中時つまり12時にそこを通る日時計になっていました。
興味ある方は[http://www.marianskysloup.cz/]まで。ただし、チェコ語です。翻訳で読みましたが...翻訳機が良くないみたいで、理解不能なところが多かったです。また、最近は余りUPDATEされていないようです。
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[2012.08.18]

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by AT_fushigi | 2013-08-23 08:55 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)

中欧家族旅行2012年08月-第十日目-チェコ・プラハ、ミュシャ博物館とユダヤ人地区



次のテーマは「ミュシャ」です。ミュシャが大好きで、カレンダー、少しですが複製の作品を持っています。また、「カメラのドイ」の創業者土井君雄氏の収集を展示している「堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館」にも出かけました。訪問記はこちら
そして、プラハのミュシャ博物館は憧れでした。

簡単にミュシャにふれます。アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha、1860年 - 1939年)はモラビア(現在のチェコ)に生まれ、25歳の時パリに出て35歳で女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターが出世作となります。そしてアール・ヌーヴォーの旗手としてポスター装飾パネル、挿絵などで大成功します。
そして1910年、50歳で故国チェコに戻り、20年の年月を掛けてスラブ民族の歴史を描いた連作「スラヴ叙事詩」を制作します。
しかし、ナチスの侵攻により愛国心を高めるという理由で逮捕され拷問を受け1939年に亡くなります。

沢山の作品がありますが2つ、黄道十二宮と桜草を紹介します。
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ミュシャ博物館(Muchove Muzeum)はミュシャの孫によって創立されました。HP(http://www.mucha.cz/)から引用すれば
===== 引用 =====
ミュシャ博物館は世界に知られ名を馳せたセセッションを代表する巨匠アルフォンス・ミュシャ(チェコ語読みは"ムハ")の生涯とその作品を展示 する 世界初の博物館です。
油彩画、素描画、パステル画、彫刻、写真、そして作家個人の縁の品から構成される約 100 点のセレクションは、19 世紀パリの伝説的女優 サラ・ ベルナール に捧ぐかのポスターの名立たる作者の二つとない世界観へと導きます。
===== 引用終 =====

ヴァーツラフ広場から徒歩で直ぐのところにあります。
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入ると受付にミュシャに似た婦人がチケットを売っていました。家族できっと血がつながっていると話しました。創立した孫かもしれないと話ました。
入場料は180コルナでした。ちなみに中は撮影禁止でした。
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内部は思ったより狭く作品がいくつかのコーナーに分けて展示してありました。何と言っても大きなポスターには圧倒されます。実物の迫力です。
しかし、狭いので展示物が少なく欲求不満tなります。日本での展示会の方が多くの作品を見ることが出来ます。
来たと言う事実とミュシャの面影のある婦人を見たことで満足しておきましょう。

そうそうSHOPで複製を買いました。
窓に作品が置いてありました。
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旧市街広場を抜けてユダヤ人地区、ヨゼフォフ(Josefov)に向かいます。

途中の町並みです。
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エステート劇場(Stavovské divadlo)、若草色が目立ちます。
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そこに一瞬ぎょっとする銅像があります。衣服だけで人を表現すると言う試みでしょうか。
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作者はアンナ・クロミイ(Anna Chromy)、作品名「COMMENDATORE」とあります。Wikipediaを引用します。
===== 引用 =====
チェコ共和国ボヘミアのチェスキー・クルムロフに生まれ、オーストリアに育ち、フランスで暮らしイタリアで創作活動を行なっている。(中略)
クロミイの最も有名な作品は「良心のコート」、「ピエタ」、あるいは「騎士長」 (Commendatore) として知られる空っぽのコートであり、これらはオーストリアのザルツブルクにある大聖堂 (Salzburg Cathedral) 、プラハのエステート劇場、アテネの国立考古学博物館などで見られる。 現在、クロミイはカッラーラにあるミケランジェロ洞窟内で200トンの白い大理石のブロックを彫り刻んで「コート」を高さ4メートル以上の礼拝堂に仕立てる作業をしている。
===== 引用終 =====

ユダヤ人地区:ヨゼフォフ。
歴史を紐解くと、10世紀にはユダヤ人が住み始めていたようです。後で見る旧新シナゴーグの遺構調査の結果、11世紀にはそこにシナゴーグがあったということです。
1215年のユダヤ人法でキリスト教徒との隔離と金融を背景にした保護が始まります。
1389年には黒死病流行を端に発したユダヤ人虐殺が起こります。3,000人以上が殺されます。
16世紀後半の神聖ローマ皇帝・ボヘミア王はユダヤ人を保護し、特にルドルフ2世の時代に繁栄しヨーロッパ最大のゲットーを形成します。ルドルフ2世はユダヤ人商人モルデハイ・マイゼルを重んじマイセルはゲットーにシナゴーグ、墓地など様々な施設を作ります
17世紀にはいると迫害が始まりマリア・テレジアでピークとなります。しかし、その息子ヨーゼフ2世は飴と鞭の同化政策を取りこの地区がヨゼフォフ(Josefov)と呼ばれるようになります
1848年の最初のオーストリア憲法の制定によりユダヤ人は居住と移動の自由を得て、富裕層が出ていきヨーゼフォフは荒れ果てます。
1890年頃に、不衛生となったヨゼフォフの再開発が始まりユダヤ人市庁舎と6つのシナゴーグと旧ユダヤ人墓地以外は取り壊されてしまいました。この時パリで流行っていたアール・ヌーヴォー建築の建物が並べられたパリ通りが造られたとのことです。
この後ナチスの悲劇が起こりますがヒットラーは“絶滅した民族の博物館”としてこの地区を保存することにした為今でも当時のままの姿で残っているのです。

さて、ブランド店が並ぶパリ通りを進みます。ちょっと行きすぎて戻ります。
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丁度結婚式を挙げたと思われるカップルが馬車で通りました。
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旧新シナゴーグ(Staronová synagoga)です。1270年ごろに建てられヨーロッパの最古のシナゴーグだそうです。16世紀に拡張されたため古くて新しいという冠を頂くことになります。時間が遅くて中に入れませんでした。
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側面の入口にダビデの星がはっきりと刻んであります。
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この反対側にチケット売り場があります。5つのシナゴーグやユダヤ人役所、墓場に入れるチケットなどがありますが、私達が行った時は閉まっていました。旧新シナゴーグが大人200コルナ、フルセットが480コルナと読めます。
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角に時計台があります。下の時計はヘブライ語かなのかで上の時計と比べると分かりますが鏡対称になっています。つまり、普通の時計とは逆回りに回っているのです。
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ここから東に小路がありユダヤ人役所(Židovská radnice)と旧ユダヤ人墓地(Starý židovský hřbitov)に通じています。途中左手にに路上の本屋の屋台が見えます。
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ユダヤ人役所(Židovská radnice)は先ほど出たマイセル(Maise)lにより1577年に寄進された建物です。
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側にユダヤ人墓地の門扉があります。旧ユダヤ人墓地は15世紀に造られました。現存する墓石は1万2000個だそうですがユダヤ人は何層にも土をかぶせながらお墓を作るそうで、多い所で12層あるので10万人近い人のお墓があるのではないかと言われています。
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他のシナゴーグは余り興味ないので旧市街広場に向かいます。その前にビールです。旧新シナゴーグから階段を上がってパリ通りに出たところに路上にテーブルを出している感じの良いレストランがあったので入りました。
「Pravda」
-- Address: Parizska 17, Josefov, Prague, Bohemia 110 00 | Map It
-- Phone: 222-326-203
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ビールや料理は美味しかったのですがサービスに時間が掛かり過ぎるのんびりしたお店でした。名前からしてサービスは社会主義国のお店と言う感じでしょうか。
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[2012.08.18]

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by AT_fushigi | 2013-08-21 10:33 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)

中欧家族旅行2012年08月-第十日目-チェコ・プラハ、ヴァーツラフ広場



さて、テーマの「プラハの春」は特に難しいことではなくヴァーツラフ広場を見てみたいと言うことです。
若いころに衝撃的だったソ連軍のプラハ侵攻とそれにまつわる話、ビロード革命などこの広場がチェコの歴史の大事件に何度も出てくるからです。そして2011年に東京都写真美術館で開催された「ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968」展が行きたい願望を高めてくれました。

広場の名前となっている聖ヴァーツラフ(Sv. Václava)はチェコの守護聖人であり民族の英雄で、ボヘミア公ヴァーツラフ1世(Václav I、 907 - 935)のことです。彼はキリスト教を受け入れたころのボヘミアに生まれ、信仰深い祖母に育てられますが、母は信仰に反対という混乱した時代に生きました。その典型的な逸話がプラハ城の東の葡萄畑のワインの話です。信心深かった彼は土地を貰いうけ葡萄を育てワインを作りお城の修道院に届けます。これを母は反対しますが隠れて届けたと言うことです。結局、母を追放しキリスト教を広めそれをバックに国内を支配しました。
しかし、最後はキリスト教を良しとしない勢力が立てた弟に殺されます。ヴァーツラフ1世は自分の建てた聖堂(後に聖ヴィート大聖堂)に安置されます。
その後色々な奇跡の伝承と共に人々の信仰を集めます。人々は彼をキリスト教の騎士として讃えます。殉教者として聖人となり、今は命日の9月28日はチェコの祝日です。

現在のヴァーツラフ広場はカレル1世(Karel I.、在位1346 - 1378)の時代に馬市場として作られ馬広場(Koňský trh)と呼ばれていました。
1678年聖ヴァーツラフの石像が建立されました。
1848年のオーストリアに対する独立蜂起の際にはこの石像の下にプラハ市民は集まったそうです。この時聖ヴァーツラフ広場(Svatováclavské náměst)と改名されたとのことです。
1912年に今の聖ヴァーツラフ像(socha sv. Václava)が石像と置き換えられ設置されます。
1918年像の前でチェコスロバキア独立宣言が読み上げられ、初代大統領となるトマーシュ・マサリクとチェコ軍団が広場を行進したそうです。
1968年の「プラハの春(Pražské jaro)」でも人々は広場に集まり改革を叫びました。8月20日にはソ連軍の介入でこの広場まで戦車が侵攻します。
1969年1月16日ソ連侵攻に抗議する21歳のヤン・パラフ(Jan Palach)は聖ヴァーツラフ像の元で焼身自殺しました。
1989年のビロード革命(Sametová revoluce)で共産主義が崩れ去った際も、何十万の人々はここに集まってきました。

なお、聖ヴァーツラフ広場から聖が外れたのがいつごろか調べても分かりませんでした。

ヨゼフ・コウデルカ(Josef Koudelka 、1938年1月10日 - )はソ連軍のプラハ侵攻の写真を撮り、西側に逃れP. P. (Prague Photographer)の名前で公表しました。そしてその写真で1969年匿名写真家としてロバート・キャパ・ゴールドメダルを受賞しました。

彼が属するマグナム・フォトのHPからの写真です。いずれも東京写真美術館で展示されたものそして本に掲載されていたものです。
侵攻直前のヴァーツラフ広場。広場正面の奥突き当り付近に聖ヴァーツラフ像があります。
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この写真は展示のポスターでした。
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この戦車にレンガを投げる老人の写真は足元の石畳の道路と共に印象に残ります。
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さて、前置きが長すぎました。それは今の広場の写真にその重要な歴史を写し出せなかったからです。

カレル橋から10分ちょっと歩いて広場のトラム停留所に着きました。道が込み入っていて迷ったと思ったので駅名を見てホッとしました。
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この広場にはまだ古い建物が残っています。アールヌーボーのGRAND HOTEL EUROPEは目立つ建物です。
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長い広場の真ん中に出ました。向こう奥にに聖ヴァーツラフ像とその背後に1890年に建てられた国立博物館(Národní muzeum)があります。
像に近づくと、焼身自殺したヤン・パラフの記念碑があります。
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聖ヴァーツラフ像と国立博物館です。
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実は行った日は月18日でソ連侵攻のあった8月20日の前々日でした。しかし、余り平日と変わらない様子でちょっとがっかりしたのでした。
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石畳は当時と変わらず人々を見ているのでしょう。
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[2012.08.18]

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by AT_fushigi | 2013-08-20 17:24 | 出張・旅行 | Trackback | Comments(0)