京都国立博物館の南門を出ると目の前の信号を渡った先に三十三間堂の案内が見えます。 三十三間堂はWiKiによれば「正式名称は蓮華王院本堂。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手観音で、蓮華王院の名称は千手観音の別称「蓮華王」に由来する」。 三十三間堂のHPによれば「久寿2年(1155)、第77代後白河天皇は、上皇として「院政」を行いました。三十三間堂は、その御所に造営されました」。「80年後に焼失」し「文永3年(1266)に再建され」、「室町期・足利第六代将軍義教により本格的な修復が行なわれます」。 太閤秀吉は「大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営し、お堂や後白河上皇の御陵をも、その境内に取り込んで土塀を築いたのです」。通し矢は後ほど。 拝観料600円を払って中に入ります。 まずは、外からお堂をぐるり見ることにしました。正面である左手(西)から時計回りです。 白砂利の敷き詰められた中庭の石畳を進むと池のあるお庭があります。 お庭はお堂の正面口から見えるようになっていました。正面口の向こうには「千手観音坐像」が安置されているはずですが外からうかがうことはできませんでした。 ぐるりです。正面、南面、裏面です。その長さに建物の端から撮るしかありません。 やはり、屋根が気になります。 南面の屋根と鬼飾り(鬼瓦)。 屋根の四隅の3つの鬼飾り。当たり前ですが本格的です。 隅棟、稚児棟鬼飾り。 降棟鬼飾り。 さて、三十三間堂と言えば通し矢です。まず三十三間堂の由来です。単純で33の間(柱と柱の間)があるからです。三十三はお堂のHPによれば「観音菩薩の変化身三十三身」に由来するそうです。さて、その間の幅は正面など広く一定していないが建物の長さは121mだそうです(間の幅の平均は3.6m)。 この長い軒下を利用して「通し矢」が行われました。「その始まりは伝説的で不明ですが、桃山時代には、すでに行なわれたと伝えます」。盛んになるのは江戸時代で、日の入から翌日日の入まで(当時は日の入が一日の始まり)24時間矢を射続ける「大矢数」が人気だったそうです。「最高記録は、貞享3年(1686)4月、紀州・和佐大八郎(試技年齢は18歳という)の総矢13,053本、通し矢8,133本」、つまり6.6秒ごとに矢を放ち、10本に約6本は向こうの的を射たという事になります。 矢を射ったと思われる裏面の南端。 ここから、向こうに射ったのでした。 的側から見た縁の下です。 この後、北側からお堂に入って見学ですが撮影禁止です。三十三間堂のHPのリンクを張っておきます。 靴を脱いであがりお堂に入ると先のほうまでびっしりと仏像が並んでいます。圧倒されます。 先にも述べましたが、中央に中尊である「千手観音坐像」が安置されています。圧巻の「千体千手観音立像」は10段で各段100体、合計1000体並んでいます(中尊の左右に500体ずつ)。「立像」は寄木造で124体が創建当時のもので876体は鎌倉時代の火災の後再建されたもの、1体が室町時代に造られたものだそうです。そう1001体あるのです。室町時代の1体は補作されたもので南端に近いところに表示があったと思います。そして入れ替えられた1体は中尊の裏に安置してありました。 三十三間堂の千手観音は「十一面四十二臂」の典型と言われ、11のお顔と42本の腕(臂)をお持ちです。42手のうち合掌している2本を除いた40本に法輪や水瓶などをお持ちです(持物というらしいです)。この持物で仏教でいう天地の間にある25の世界(三界二十五有)を救われるのだそうです。ここでも25x40=1000が出てきます。1000は当時数えられる最大数を表していたということです。 「千手観音坐像」と「千体千手観音立像」(三十三間堂HP) そして、千手観音といえば眷属である「二十八部衆」。HPの「千体千手観音立像」の写真で観音立像の最前列に並んでいるのが「二十八部衆」です。中尊の周りに四天王、左右に12体ずつ置かれています。それぞれに解説板があり、それを読んでいくのも楽しいです。 実は入ってすぐのところに風神があります。そして、奥に雷神があります。中尊さまに向かって左端に雷神、右端に風神です。鎌倉時代再建時のもので湛慶が作成にかかわったとされています。この風神雷神像は日本最古のもので、ご存知俵屋宗達の「風神雷神図」はこの像に刺激を受けたものとされています。 さて、「風神雷神図」と同じ、「左に雷神、右に風神」ですがこの配置は2018年に行われたものです。以前は左右が逆だったとのことです。いつから入れ替わったかは明確ではないそうですが、調査をし再建時の配置に戻したという事です。 「風神・雷神と二十八部衆」(三十三間堂HP) 出ると西に門がありましたが良く分かりませんでした。 さて、南大門などの見学のため三十三間堂の外側を反時計回りに一周することにしました。 [2019.11.19] 前へ(第三日目ー京都国立博物館「佐竹本三十六歌仙絵」) 次へ(第三日目ー方広寺のこと、太閤塀・南大門) [この旅行の目次] 出張・旅行記事一覧 : 2007年-2012年 2013年-2017年 2018年-
by AT_fushigi
| 2020-09-05 12:11
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